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from Hip

2022.07.01

From HIP -7月号- 人生の転機は4歳で起こった

人生には様々な転機がある。

SNSを始めることによって、私の人生が変わっていったという話は、前回までの話ですが、
それ以外にも、これ以前にも様々な転機は訪れたわけで、
いちいち上げていったらきりがないくらいです。

今回は前回の続きというよりは、SNS以外にもたくさんあった、またはこれからもあるであろう
「転機」について一つ二つおはなしいたしましょう。

記憶の中で最も早く転機が訪れたのは、4歳の時。
両親の転居により入園したばかりの幼稚園を辞めることになった。
実際には、辞めるか辞めずにバスに乗りつぎ私が通いきるか、この選択を4歳児のわたくしは迫られておりました。
母のえらくお気に入りで、姉も通ったその幼稚園は、経営は神社様で、園長先生は宮司様。
園庭は神社の境内の中にあり、丘の上の静かな杜の中にある、今思い出しても良い環境の中にある
幼稚園でした。
まだ年若い母は、私をやめさせることがずいぶん口惜しいらしく、
後に知ることになる転居の理由とも重なり、
私は、首から定期券をぶら下げられ、路線バスに乗せられて、
幼稚園の先生の待つJRの駅前までバスに揺られておりました。
その心細いことと言ったら、なんとも表現のしようがないもので、
母に手を離され、バスのステップを上り、定期などまともに見せることなく、
すぐさま泣き始め、シートに座る気力さえなく、バスの中央あたりに陣取り、
駅に着くまで20分以上泣き続けておりました。

とにかく泣きながらバスを降り、また幼稚園まで先生と20分歩く。
一体これを何日繰り返したのか
まだ年若く教育熱心だった母は、何日目で「このこはだめだ。」とあきらめがついたのか?
この、私の全身を使っての「できません!」の抗議は、どのくらいで功を奏したのか??
私としてはこのややこしい通園をとっくにやめる気でいたのに、
元々なぜこうなったのかよくわからずに始まってしまっていたことだったわけですから。
母からの説明は、私に少なからず不安よりもわくわくが多いことを強調していたのではないか?
今となっては、母は草場の陰の人であるからどうにも確かめようのないことであるけれど、
何日目かに私たち二人は合意し、通園をやめる、すなわち幼稚園中退を決心し、そして、
えらく母をがっかりさせたことは言うまでもない。

先に記した転居の事由というのが、父とその実父、私にとっては祖父とのいさかいで、
若い夫婦が、父の兄弟までそろって10人以上の家族の昔ながらの家を離れ、核家族化するということにありました。
大変賢い母でしたので、この転居は、若い夫婦にとっても、これからの昭和の世の中にとっても、失敗は許されなかったのです。
臆病者の次女が、理想の幼稚園を中退なんてことは!
申し訳なくも思い出されますが、母の落胆に思いが及ぶのは、この年になったからなのです。

両親にとっても大変な「転機」だったわけでしょう。

今回は、「人生の転機」についてささやかなる私の経験を、お話させていただこうと思ったのですが
物語はいつの間にやら、私の両親の話になり、日本の良き時代、昭和の話となりました。

私の「おはなし」については、また次の機会にゆっくりとさせてくださいませ。
何をやっても失敗しない、失敗も経験!と言い切れた良い時代もありましたものね。
昔はよかった!なんて一言ではかたづけませんよ。
今となっては片付かないことだらけ。

さあ、私のサロンでお待ちしております。この続きはサロンで。

2022年7月 山宮博子

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