ブログ

from Hip

2022.09.01

-From HIP- 露天商の口紅

こんな風に私の小学生生活は始まり、教育熱心な母と、昭和の日本の上向きの風に乗り、ご多聞に漏れず
何と無く分不相応のような、国民皆中流意識時代の日々を過ごしおりました。

あっさりとピアノの個人レッスンをやめてしまったわたくしには、しばらく致しますと、
モダンバレエのお教室が始まる情報がやってまいりました。
バレエの先生は、これからわたくしの叔母になる人で、父の末の弟のお嫁さんになる、という立場の
優しいお姉さんでした。
何より、おうちに帰ってからの練習や、先生に1対1で立ち向かわなければならないピアノのおけいこと違って、
バレエのレッスンは集団ですから、「ヤマハの音楽教室」同様、間違えたってへっちゃらです。
時と場合によっては、見つからずに済むこともあるかもしれません。
私と、母が飛びついたことは言うまでもありません。
今も変わらずわたくしは、体に柔軟性がなく、当時からどうもみんなと同じようにできないことは
よくわかる年にはなっていました。が、単に体を動かすことは楽しく、後々、時々途切れながらも
娘を身ごもるまではつづけていくことになっていきました。
もちろん小さな挫折や、若い母をがっかりさせる失敗は切りなくあったはずですが、バレエのおけいこは楽しく、瞬く間に数年が過ぎていきました。
その間両親たちは、小さな土地を買い求め、一戸建の夢のマイホームの建築が始まっていきました。
小さな長屋に住んだのはわずか2年半だったようですが、私にとってはとてつもなく長い年月
のように思い出されます。
バレエの発表会の際には、母たちが、真っ白なゴーシュの生地を裁断し、ミシンの音もカタカタと
かわいらしいチュチュや衣装を、こさえてくれました。
そのうえ、華やかなお化粧に、私はいやがうえにもテンションが上がり、舞台に上がることに怖気つくようなことはありませんでした。
衣装とメイクアップ、これはとても大事な役つくりです。
もちろん、普段の生活も言うに及ばず、メイクをする、ヘアースタイルを作り、そして装う、とても素晴らしいことだと、早くも8歳程度で、目覚めることになります。

場面は変りますが、母に手を引かれ、平塚の商店街を歩いているときです、まだ、舗道には露天商のお店も出ているような時代です。
ふと母が目を留めたのは化粧品の露店でした。
何度も何度も口紅を繰り出しては変え、何本も見比べておりましたが、とうとう一本も買わずにその場を去ります。
なぜかよく覚えていて、100円化粧品だったように思い出されます。
いまは、100均について暗いイメージは一切ありませんが、当時は、化粧品はデパートの1階フロアーに
キラキラと美しく陳列されていたものでして、やはり露天商が扱うものは、子供心にも、何やら怪しげに感じたものです。
母が怪しげに思いやめたのか、手元の財布と相談したものかは、今となってはわかりようがありませんが、なぜか、母が妙に気の毒に思え、「大人になったらお母さんにけしょうひんをかってあげる!」
と心に誓ったものでした。
今は、私は、365日美容師として生き、この仕事を心から愛しておりますので、女性も男性も、どちらにも所属しない人も、装うことの大切さは身に染みております。
もはや、身だしなみの範疇を超え、これは、生き方だなっと実感する日々です。

話はようやく楽しめるお稽古ごとに巡り合えたお話から、思わぬ方向にずれ、装うことの大切さや、母との少し胸が熱くなる思い出までにすすみました。

バレエのお稽古は、その後大人になった私を色々な場面で助けてくれるものとなり、今でもありがたく
思っている一つです。
私がメイクやヘアーセットやら大好きになったのは、案外、そこがルーツかもしれません。
この原稿を書きながら、ふと、そんな風に思っております。
綺麗になる。かわいくなる。楽しくなる。嬉しくなる。これみんな同じことですよね。

その後40歳を過ぎてから、母にはわたくしが選んだブランドの化粧品を、亡くなるまで、毎月送り
つづけました。

さて今回はこの辺で終わりにいたしましょう。
私の母があの時、100円の口紅を購入していたら、私の人生も少し変わったかもしれませんね。

さあこの続きはサロンで
2022年9月
山宮博子

カテゴリ

アーカイブ

過去のブログ記事