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from Hip

2022.11.01

シャイクスピアにステテコ

そんな役者となるべく劇団研究所に入所しながら、なぜ美容師となったか?
18歳で高校卒業後、美容学校に入学するのは21歳の秋、同級生は大学の4年生の年でした。
その間わずか3年半のことなのですが、どなたでもおそらく同じように、若いわたくしにとっては
人生が大きく変わっていった長く怒涛の3年数か月でした。
この年になれば、3年などあっという間。何事も変わらず成長はもちろん、体力の衰え
容姿の衰えなどばかりが気になりながらも、昨日と変わらない今日が来ることにむしろ感謝しながらの日々を送っております。
ところが18歳からの3年間は毎日が新しいことずくめ。
この日々を語らずには私の美容師人生は始まらない程に、色々なことのあった日々でした。
何から語るべきなのか?
いずれぽろぽろと語って行こうと思いますがその前に。
胸の中に常に逆地方コンプレックスを抱えていた私には、このほかにも決定的に物足りないものがございました。
これは今も私の悩みであることの一つですが物事を裏から見たり横から見たり、など、柔軟に考える事が苦手というよりは、考え付かないことなのです。真面目といえば聞こえはよいのですが、
オリジナリティーにかけること甚だしく思え、えらく自分に落胆する日々でした。
若い、ということは経験も少ないですしまだまだこれからと思えば、いくらでも吸収できるはずなのに
シェイクスピアの「夏の夜の夢」をステテコとうちわ片手に演じ始めた同期生にあっけにとられ、
天下のシェイクスピアにステテコとは!と脱帽し敗北を感じました。
一言で言って 苦労知らずは経験不足 なわけですから自らの想像力あるいは創造力の無さに、えらく悲しくなったものでした。
後に美容師となり作品を作り上げていく過程でも中々 胸を張ってオリジナルです!といえるものが
できず 模倣から抜け出せずにいる自分に悩んだものでした。
ですが模倣することから美容師のトレーニングは始まりますから、模倣が身につけばオリジナルとなる。
と言い聞かせたものです。
当時は今とは違い動画もなければ手元に写真も持ち歩けるようなこともなく、わずかな教本、先輩の
手元を追って繰り返す。そんな時代でしたから。

とにもかくにも、当時の私を悩ませていたのは、逆地方コンプレックスと、真面目があだとなり、物事を
真正面からしか見ることができないという
今思い出せば若気の至りとしか言いようのない、愚にもつかないものですが、当時の私にとっては
最大に高い壁で、シェイクスピアとステテコを結び付けた同期生への敗北から立ち直ることは難しく
心揺らいだ出来事でした。
折りしも、現在の夫との結婚の話も持ち上がり始め、さらに心は揺らいでいくわけです。
高校の演劇部で一緒だった夫の家は商売をやっていた家で、嫁となったらそろばんができないと。
などどいう話になっているらしく、渡りに船とばかりに、わずか半年で研究所をとっとと辞め
あっけにとられるは母を尻目に、上場企業の子会社の経理課にすんなり納まるという展開になりました。
その当時があっての今なので、何一つ無駄なものなどありませんから、後悔だとか、反省などではなく、若いとは怖いもの知らずだな。と感心しながら振り返っております。

まだ美容学校に入学するまでには3年、この後どんな展開で私は美容師になっていくのか。
始めて登場した夫とはいったいいつ結婚となるのか?

この続きはまた来月。
サロンでもお会いしましょう。
2022年11月 山宮博子

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